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毎日、1話ずつ聞かせて頂いています。楽しく、分かりやすくお話し下さいまして、ありがとうございます。
今日もありがとう御座います。😃👍
大変励みになります!コメントありがとうございました(^^)
感謝
お話しありがとうございます。
perfect.
RUGEED INC.さん コメントありがとうございました(^^)
拝聴させていただきました。日々の生活の中で思い当たる事が多々ありました。朗読のスピードや声のトーンもやさしく、語りかけるようにされていて素直に聴く事ができました。ありがとうございました。
制作者一同大変励みになるコメントをいただき、誠にありがとうございました(^^)
どなたがまとめられたのかな? とても素晴らしいお話でした。日常生活における実地の行で忘れずみ意識していただきたいことを伝えさせていただきますね。 「神は喜びしか与えていない」これ覚えておくとよいですよ。説明:神諭や物語に書かれている「めぐり」は自分のしたことが自分に巡り巡って返ってくること。当然借銭としてのめぐりが無ければ自分にとって都合の悪いことは顕れては来ません。体主霊従から霊主体従に身魂を建て替え建て直しをするために「めぐり」を正しく理解する必要があります。ですから本来は神は喜びしか与えられてはおられないことを先ずに知っておくことが必要なのです。神の創られた天地は楽園、極楽でした。天則違反を犯さなければね。心を改め天則に従って生活をしていれば顕界でも今からでも神のお陰により平安に暮らせるのです。また國替えをしても向かう先は天国です。顕界幽界共に汚れのない神の世界として顕現さすには今心改め実地の行をすることです。ですから他人や師匠に頼っていては御神業に参加するどころか己の身魂の建て替え直しも進められずかえって神の邪魔ばかりしていると言われるのです。実地の行をしていく内に神のお陰に気づけるようになってきます。自分にとって都合の悪いことも善いことも偶然ではなく必然であることに気づけて周りの人がお陰をを落としていることにも気づけるようにもなります。苦難が形と成ってから慌ててもね。神諭で知らされていましたよね。「一神即多神即帆神」万物すべて神、何事にも感謝、善悪に関わらずあらそうべからず。身魂の建て替え建て直しのための情報が盛りだくさんの物語を生かしていないようです。大本の方とお話ができるようにと願っています。ご縁が結んでいただけますように。
コメントありがとうございました。
こんにちは。先ずは大神様にご縁を結んでいただいたことを感謝いたします。そして、すぐに返信をしなかったことをお詫びいたします。今後もご縁がありますように。「はじめまして」ではないかもしれません。自己紹介:岩間和憲と申します。愛知県在住です。令和元年5月1日からの大道場修行に参加させていただいたことがありますので参加者リストで確認をしていただくことができます。名を明かすのは自分の一言一言に責任を持つためです。よろしくお願いいたします。次、を待っている余裕がありませんので一方的ではありますがどなたかにでも目に留まればとこのまま書き進めますね。大神様のお導きにより実地の行に入ったのは30年前、数々の体験をし神が存在することを宣言できるように成ったのが7年前、大本(神諭、物語)にご縁があったのが4年前です。実地に必要なことは神諭と物語に記されていることなので僕が脱線したことを言っていないか照らし合わせてくださいね。初発に「めぐり」と「五つの杖」というお陰をいただきました。前のコメントに書いたのも含め書き記します。 『五つの杖』①神は喜びしか与えていない。②自分のものは何もない。③人は中今に生かされている。④偶然はない。⑤被害者はいない。解説:① ④ ⑤は「めぐり」が解れば容易に理解することができると思います。そして⑤、人間の本体は霊であること、人間を含めた万物が神。このことから今世の全ての罪穢れを背負い、全ての辛苦を大神様は一身に受けておられること。物語で知らされている大神様のお苦しみがどれほどのものか。これまでの事、今起こっている事を思えば、我々はお詫びしてもお詫びし尽くすことは叶わず感謝しても感謝し尽くすことはできないでしょう。被害者は大神様ただお一方だけです。③は本来、人は過去の過ちと未来の不安という過未(かみ)の中にいるものではありません。めぐりが無ければ後悔も無く不安も無く、嬉し喜び感謝して、火水(かみ、十)の中「・」で神(火タテ水ヨコ)の間に間に刹那心で過ごさせていただけるのです。②は木の葉一枚、砂利粒一つ万物何一つ神のもので無きものは無く、人間が独占して善いものは何一つないことは物語にある通りです。すべては神からの授かりもの。すべてのものを神にお返しして(執着心を捨てること)、何事も神に感謝しお受けしてメグリを育まぬよう身欲・保身、我善しで用いることなくお預かりしたものは神の御心に叶うよう用いれば何の不都合も生じることはないので自由自在。与えられた、いただいたとも成るのです。真を杖に、神を力に勇んで励みて参りましょう。追伸:玉磨き「玉磨かざれば光無し。光無きは石瓦とす(実語教より)」玉結び。タテヨコ結んだ十の真ん中を真と言います。霊力体、口(言)心行の真中の力と心のことでもあります。言行、霊体を一致さすには心を磨き一点の曇りもない水晶玉のように汚れを祓い清めることが必要なのです。心(鏡と玉と剣)を磨くためのものが神諭であり物語なんです。でも実践しなければ、美味しいものを貪りながらダイエット本を読んだり立派な掃除道具は持っているが掃除をしない人たちと何ら変わりはないのです。も一つ。我々は神話の時代、神代の初発から続く神話を今も作り物語の最終章を一人一人が作っているのです。皆さんお一人お一人が物語の主人公です。皆さんお一人お一人が身魂の建て替え建て直しをし御神策御神業に奉仕されますように。またご縁がありますように。
元世界救世教に親が救いの光教団に入信してました 私は半信半疑でしたが 分裂しましたね 今は無神ですがなかなか良い宗教ですね✨
コメントありがとうございました!
毎日、1話ずつ聞かせて頂いています。
楽しく、分かりやすくお話し下さいまして、ありがとうございます。
今日もありがとう御座います。😃👍
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お話しありがとうございます。
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RUGEED INC.さん コメントありがとうございました(^^)
拝聴させていただきました。日々の生活の中で思い当たる事が多々ありました。
朗読のスピードや声のトーンもやさしく、語りかけるようにされていて素直に聴く事ができました。
ありがとうございました。
制作者一同大変励みになるコメントをいただき、誠にありがとうございました(^^)
どなたがまとめられたのかな? とても素晴らしいお話でした。
日常生活における実地の行で忘れずみ意識していただきたいことを伝えさせていただきますね。
「神は喜びしか与えていない」
これ覚えておくとよいですよ。
説明:神諭や物語に書かれている「めぐり」は自分のしたことが自分に巡り巡って返ってくること。
当然借銭としてのめぐりが無ければ自分にとって都合の悪いことは顕れては来ません。
体主霊従から霊主体従に身魂を建て替え建て直しをするために「めぐり」を正しく理解する必要があります。ですから本来は神は喜びしか与えられてはおられないことを先ずに知っておくことが必要なのです。
神の創られた天地は楽園、極楽でした。天則違反を犯さなければね。
心を改め天則に従って生活をしていれば顕界でも今からでも神のお陰により平安に暮らせるのです。また國替えをしても向かう先は天国です。顕界幽界共に汚れのない神の世界として顕現さすには今心改め実地の行をすることです。ですから他人や師匠に頼っていては御神業に参加するどころか己の身魂の建て替え直しも進められずかえって神の邪魔ばかりしていると言われるのです。実地の行をしていく内に神のお陰に気づけるようになってきます。自分にとって都合の悪いことも善いことも偶然ではなく必然であることに気づけて周りの人がお陰をを落としていることにも気づけるようにもなります。苦難が形と成ってから慌ててもね。神諭で知らされていましたよね。「一神即多神即帆神」万物すべて神、何事にも感謝、善悪に関わらずあらそうべからず。身魂の建て替え建て直しのための情報が盛りだくさんの物語を生かしていないようです。
大本の方とお話ができるようにと願っています。ご縁が結んでいただけますように。
コメントありがとうございました。
こんにちは。先ずは大神様にご縁を結んでいただいたことを感謝いたします。そして、すぐに返信をしなかったことをお詫びいたします。今後もご縁がありますように。
「はじめまして」ではないかもしれません。自己紹介:岩間和憲と申します。愛知県在住です。令和元年5月1日からの大道場修行に参加させていただいたことがありますので参加者リストで確認をしていただくことができます。名を明かすのは自分の一言一言に責任を持つためです。よろしくお願いいたします。
次、を待っている余裕がありませんので一方的ではありますがどなたかにでも目に留まればとこのまま書き進めますね。
大神様のお導きにより実地の行に入ったのは30年前、数々の体験をし神が存在することを宣言できるように成ったのが7年前、大本(神諭、物語)にご縁があったのが4年前です。
実地に必要なことは神諭と物語に記されていることなので僕が脱線したことを言っていないか照らし合わせてくださいね。初発に「めぐり」と「五つの杖」というお陰をいただきました。前のコメントに書いたのも含め書き記します。
『五つの杖』
①神は喜びしか与えていない。
②自分のものは何もない。
③人は中今に生かされている。
④偶然はない。
⑤被害者はいない。
解説:① ④ ⑤は「めぐり」が解れば容易に理解することができると思います。そして⑤、人間の本体は霊であること、人間を含めた万物が神。このことから今世の全ての罪穢れを背負い、全ての辛苦を大神様は一身に受けておられること。物語で知らされている大神様のお苦しみがどれほどのものか。これまでの事、今起こっている事を思えば、我々はお詫びしてもお詫びし尽くすことは叶わず感謝しても感謝し尽くすことはできないでしょう。被害者は大神様ただお一方だけです。
③は本来、人は過去の過ちと未来の不安という過未(かみ)の中にいるものではありません。めぐりが無ければ後悔も無く不安も無く、嬉し喜び感謝して、火水(かみ、十)の中「・」で神(火タテ水ヨコ)の間に間に刹那心で過ごさせていただけるのです。
②は木の葉一枚、砂利粒一つ万物何一つ神のもので無きものは無く、人間が独占して善いものは何一つないことは物語にある通りです。すべては神からの授かりもの。すべてのものを神にお返しして(執着心を捨てること)、何事も神に感謝しお受けしてメグリを育まぬよう身欲・保身、我善しで用いることなくお預かりしたものは神の御心に叶うよう用いれば何の不都合も生じることはないので自由自在。与えられた、いただいたとも成るのです。
真を杖に、神を力に勇んで励みて参りましょう。
追伸:玉磨き「玉磨かざれば光無し。光無きは石瓦とす(実語教より)」
玉結び。タテヨコ結んだ十の真ん中を真と言います。霊力体、口(言)心行の真中の力と心のことでもあります。言行、霊体を一致さすには心を磨き一点の曇りもない水晶玉のように汚れを祓い清めることが必要なのです。心(鏡と玉と剣)を磨くためのものが神諭であり物語なんです。でも実践しなければ、美味しいものを貪りながらダイエット本を読んだり立派な掃除道具は持っているが掃除をしない人たちと何ら変わりはないのです。
も一つ。我々は神話の時代、神代の初発から続く神話を今も作り物語の最終章を一人一人が作っているのです。皆さんお一人お一人が物語の主人公です。
皆さんお一人お一人が身魂の建て替え建て直しをし御神策御神業に奉仕されますように。またご縁がありますように。
元世界救世教に親が救いの光教団に入信してました 私は半信半疑でしたが 分裂しましたね 今は無神ですがなかなか良い
宗教ですね✨
コメントありがとうございました!